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京都あはは

36歳のうつ病サラリーマンが2017年に京都でオシャレなカフェを開いて、おもろいことを仕掛けていきます。

どれだけ業績が良かったとしても、「三菱電機」という会社で働き続ける理由が見つけられなかった。働き続けなかったことは間違いない判断だった。

三菱電機が絶好調です。

 

www.nikkei.com

 

 

僕は、2013年3月から2015年3月まで2年間、この三菱電機で働いていました。この2年間で感じたことをまとめます

*この記事は僕が働いていた2013年から2015年の2年間の話で、かつ所属していた交通システム部門の話です。2016年2月の今時点は状況が違っている可能性が大いにあります。三菱電機をクサすことが目的ではありません。

 

 

投資家としてみると、三菱電機は最高の会社。

 

経営が安定しています。事業の選択が進んでいて、多くの強い事業があります。半導体/携帯電話/テレビ等の商品サイクルが早い製品からは大胆に手を引いています。残っているのは、FA(Factory Automation)/自動車機器/エアコン等の商品サイクルが長く、参入障壁が高く、業界ルールの変化が少ない製品を残して、力を入れています。

 

結果、韓国/中国メーカーとガチンコの競争が無く、売上と利益を安定的に増やすことができます。逆に韓国/中国メーカーが三菱電機に製品を使ってモノを作っています。

 

三菱電機は、経営が安定していて、安定的に成長する為、投資するには非常に良い会社です。

 

 

従業員としては、僕には働き続ける理由が見つからなかった三菱電機

 

月火木金は「8:30~22:00」、水は「8:30~17:30」というの基本的な労働時間でした。”基本的”というのは、この基本の労働時間の上に+αの労働があったからです。この基本の労働時間は当たり前で、ここからどれだけ+αの労働をしたか、というのが評価でした。土曜日働くこともそれほど珍しがられるものではなく、おそらく管理職は基本土曜日は出勤orメールチェックしていました。

 

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当時の僕はドアツードアで片道1時間15分かけて通勤をしていた為、平日はほとんど家族との時間を持てませんでした。というか、自分自身のことで精いっぱいで、お金を稼ぐ以外の家族としての役割はほとんど出来ていませんでした。

 

僕の所属していた交通システム部門は、「The B to B(企業間取引)」で客先の要望に応え続けることが最大のミッションでした。作っている製品が三菱電機しか作れないモノであれば、客先に対する価格/納期に関する交渉力があります。しかし、他社でも作れる製品を作っていた為、価格/納期でどこまで客先の要求に答えるかが勝負となっていました。客先の”奴隷”でした。

 

他社との競争に勝つためには、奴隷レベルを高める必要があります。奴隷レベルを高める為には、経営者(管理職)は「従業員を限界まで働かせたい」と思います。当然ですが。唯一無二の製品を作れない「B to B」は、どこも同じです。

 

奴隷から抜け出す為には、まったく新しいルールを考えたり、唯一無二の製品を作ろうとする方向に行くしかありません。ただ、当時の経営者(管理職)はより良い奴隷になることを目指していました。よって、従業員により良い奴隷として仕事/働き方を求めていました。僕はより良い奴隷に面白さをまったく感じられず、毎日毎日長時間、楽しくない仕事をする状況に陥りました。

*念のため、奴隷であることをそこまで嫌だと思っていな人もいました。

 

年収は780万円ほどでしたが、家族との時間や自分自身時間がまったく持てないことの対価としては安すぎです。僕にとっては。三菱電機で働き始めて6ケ月たったところには、早く三菱電機を辞めることしか考えていませんでした。2014年12月に機械メーカーの転職面接を受け、2015年1月にその機械メーカーから合格をもらい三菱電機を退職することを決めました。

 

 

ひろ